2012年04月02日
VINTAGE SNEAKER
皆さんこんにちわ。
今日も非常に天気が良いので久しぶりにビンテージスニーカーでもご紹介しようと思います。
モデル名 不明 1970年代~

MADE IN YUGOSLAVIA
1980年代の末期まで、ユーゴスラビアではソ連や他の社会主義国家とは一線を画した経済方式を導入していました。ユーゴスラビアでは生産手段である、工場や工業機械の他に、経営方針も労働者によって管理されるものとされ、その範囲内で経営責任者が労働者によって募集されるということもよくあったそうです。
また西側資本の受け入れにも積極的であり、西ドイツ(当時)のスニーカーメーカーだったアドルフ(通称アディ)・ダスラー創設のアディダス社などがユーゴスラビアに工場を構えていました。

何かの競技用と思われますが、何を調べても誰に聞いても解らない~な困ったさんです。
ウレタンの劣化が進み、とても履けたモンではございません。
あと60年保管できれば100年前のものになり世間は‘ヴィンテージ‘ではなく‘アンティーク‘と呼ぶようになるでしょう。
タイムマシンがあれば当時の工場見学に行ってみたいと思う今日この頃です。
日本橋三越シューケアブログはコチラ⇒http://repaircare.exblog.jp/
靴修理、靴のお手入れに関するQ&Aはコチラ⇒http://www.shoe-repair.net/e131.html#qa01
今日も非常に天気が良いので久しぶりにビンテージスニーカーでもご紹介しようと思います。
モデル名 不明 1970年代~
MADE IN YUGOSLAVIA
1980年代の末期まで、ユーゴスラビアではソ連や他の社会主義国家とは一線を画した経済方式を導入していました。ユーゴスラビアでは生産手段である、工場や工業機械の他に、経営方針も労働者によって管理されるものとされ、その範囲内で経営責任者が労働者によって募集されるということもよくあったそうです。
また西側資本の受け入れにも積極的であり、西ドイツ(当時)のスニーカーメーカーだったアドルフ(通称アディ)・ダスラー創設のアディダス社などがユーゴスラビアに工場を構えていました。
何かの競技用と思われますが、何を調べても誰に聞いても解らない~な困ったさんです。
ウレタンの劣化が進み、とても履けたモンではございません。
あと60年保管できれば100年前のものになり世間は‘ヴィンテージ‘ではなく‘アンティーク‘と呼ぶようになるでしょう。
タイムマシンがあれば当時の工場見学に行ってみたいと思う今日この頃です。
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Posted by リペア工房RESH.日本橋三越本店 at 11:16│Comments(0)
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